脈絡のない,書きなぐった文章だが,保存しておこう.
3年前から指導していた生徒の最後の指導を終えた.
中2の冬から今日まで,3年ほど.
今は高2の冬で,なぜこのタイミングで最後かというと,4年制大学への進学をやめたから.
専門学校(具体的には大原学園)へ進学し,そこで税理士資格を取得するという進路になった.
資格取得後は母親の法人で働くか,もしくは経験を積んで外部のより待遇のいい勤務先を見つけるか.
生徒の母親は一般社団法人の代表で,父親は専業主夫.
週末指導へ行くと,母親は留守か仮眠をとっているかで,父親が対応してくれる.
生徒と父親間のコミュニケーションはあまりない家庭で,
「お父さん,一度好きって言ったもの,ずっと買ってくる」
と,生徒が愚痴をこぼしていたのが印象的だった.
教育に関して高望みはしておらず,家庭教師の契約当初より,
「身の丈にあった進路で十分」
というスタンスだった.
中2の夏あたりから英語の家庭教師を1人つけ,
中2冬から僕が理科を教え2人体制へ.
さらに翌年には数学の教師をつけて3人体制.
さらに,英語の教師が辞め,社会の教師が新たにつく.
そして最終的には社会と数学の教師は辞め,僕が数理を担当,そして新任が主に英語+文系科目を受け持つことになり,気づけば今日となっていた.
生徒自身は,ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典などには興味があり,北里大の薬学部を第一志望としていた.
しかし,この夏に北里大のオープンキャンパスへ行ってから,大学進学へのモチベーションがなくなった.
あそこで4年も過ごしたくない,と.
そもそも受かる保証もないのに勉強する意味もない,と.
大学へ入ったら,もちろん教養も学ばないと仕方ない.
そこら辺はちゃんと伝えたはずだったし,生徒も理解してると思ってる.
12月頭に今月いっぱいで指導を打ち切ることが決まった.
ご家庭には業務用の連絡先しか知らせていないし,今後何かあればと思って生徒に名刺を渡した.
すると,「先生名刺持ってたんですね.はじめて名刺もらいました.大切にします.」
とやけに喜んでいた.
(僕自身も新しいデザインの名刺が届いたばかりで,誰かに渡したかった,というのもあるが.)
高3はどう過ごそうか.
専門学校は落ちるような入試はないので,とりたてて勉強する必要もない.
私学の高校で,バイトや免許取得が校則で禁止されているらしい.
バイトもバレると停学なので,内職を探しているとか.
免許とれればよかったんだけどね.
こういうときに年賀状を送る文化が残っていればなぁ,と思う.
生徒とかと,年一くらいこちらの近況を伝えてもいいと思った.
まあ,来年夏あたりにメールでも送ってみようかな.
そういえば僕は何しに大学へ来たのだろうか?
幼稚園児の頃,よく遊んでくれた近所のお兄さんは,4人兄弟(全員男)で全員東大生だった.
今思えば異常な環境だ.
小学生のときはそのお兄さんの研究室も訪ねた.
幼稚園,小学生低学年の時,東大は知っていたが,大学は知らなかった.
が,将来“そこ”に行っているだろう,という感覚はあった.
昔から漠然と宇宙は嫌いじゃなかった.
こういう書き方をすると語弊があるが,まれに見るプラス印象だった.
つまり,自分の近くにあっても嫌じゃない存在だった.
それは幼稚園の卒園アルバムにも現れている.
しかし,「昔流星群をみて」とか「アポロ着陸をみて」とかいった明確なきっかけはない.
下手したら,生まれたときからそうだった.
ただ,宇宙を“やりたい”と思ったことはほぼなかった.
高校のときも天文部入ろうとして見学に行き,一学年20人ほどいたので辞めた.
そして先輩が3人,同期は自分含め2人の自然科学部へ入部.
高1はミツバチやシロイヌナズナと戯れ,
高2はコウジカビを痛めつけ,
高3はセルロース分解菌を研究した.
軽い気持ちで受けた生物オリンピックもなぜかいいとこまで行ってしまった.
大学はやはり東大以外眼中になかった.
対外的なスタンスは,「宇宙まともにできるの東大だけじゃん」であったが,
実際のところはガスタービンに興味があったので,東大でなくてもよかった.
(ガスタービンは一応航空宇宙の分野内でもある.)
相変わらず,大学の前期教養でも宇宙をやらなかった.
超有名講義,「宇宙科学Ⅰ(蜂巣泉)」も受講しなかった.
その代わり,核融合と計算理論(記号論理学,ラムダ計算,計算可能性)関連の授業を片っ端から受講した.
核融合だけで8単位あったし,東海村も見学した.
そして進学振り分け.
何も考えず工学部航空宇宙工学科に出した.
まあ,実際には30秒くらい理学部物理学科,理学部天文学を考えたが,自分の能力では生きていけないと判断して却下した.
教養であれほど学んだ核融合,情報系は,選択肢にすら上がらなかった.
きっと,それらの分野も悪くないのだが,宇宙以上に“やりたい”という感情がなかったからだろう.
今まで20年以上生きてきたが,積極的な選択をあまりしてこなかったと感じる.
基本的に
無関心,嫌い,好きじゃない,普通,嫌いじゃない
のような評価基準でものをラベリングしてきたなぁという自覚がある.
宇宙はおそらく,「嫌いじゃない」に該当してるんだろうね.
核融合,情報,生物は嫌いじゃないと普通の間.
進学振り分けがすぎると,次から次へと進路の選択がせまる.
厄介なのは,自分の専門を決める,つまり他を切り捨てる選択が続くということだ.
こうなってくると,“好きなもの”が存在しないと辛くなってくる.
宇宙,すきだよ.漠然とね.
で,何がしたいかって? 別に,したくないものは山ほどあるけど,したいことは特にないよ.
って.
没頭できることはいい.
何かの大会とか,部活とか,
他にもプログラミングとか.
プログラミングなんて,ある意味でとてもよい.
自分はプログラミングの能力がないのでちまちま書くことができない.
徹夜して一気にゴミコードを書き上げる.
1日~数週間没頭できる.
何かに没頭してると,他を考えなくて良くなる.
それやってれば,対外的には「忙しそう.頑張ってる」とかいうどうでもいい印象も持たれる.
ただ,それが切れると,結局は何も残らない.
将来やりたいことの展望も,
将来食っていくための武器も.
高校時代に,生徒からの評価も悪く,職員の中でも孤立気味な先生と仲が良かった.
自然科学部の顧問であり,恩師だと思ってる.
教員内で孤立していたのは,その先生が部活やSL(サイエンス・リテラシー,SSH指定校だったため,研究などの特別授業があった)を高校内というぬるま湯の中でお互い傷を舐め合いながら甘い評価をし合うことは無意味だとバッサリ切り捨て,対外的なコンクールで評価されないと意味がないと強く主張していたことなどが理由の一つだ.
その先生にこのようなことを言われ,千葉大の飛び入学を勧められた.
「ノーベル賞のような研究は,その着想は25歳までにできあがってる.アイデアは若い脳からでないと生まれない.」
「ノーベル賞をとってから新し分野に手を出してもなかなか成功しない.その後は地味かもしれないけど,その研究を強化する研究をするしかない.」
合格してしまった千葉大は結局蹴った.
教授陣の圧迫面接で,教授陣をくそだと思ってしまって.
そういえば,父親にもこんなことを言われた記憶がある.
「剣は使ってないと錆びる.でも錆びたらまた研げばいい.それは歳を取ってからでもできる.
でも,剣を作ることは若いうちにしかできない.」
そんなこと言われてもねぇ.
さて,25歳まであと少しである.
僕は一体,何がしたくて,何を武器に生きていこうとしているのだろうか?
あ,忘れないうちに今月の請求書書いてしまわなきゃ.
名前
Email (※公開されることはありません)
コメント