最近何気なく撮った写真と,そしてカメラを握ることについて.
去年の暮に,CanonのEOS M3から富士フイルムのX-T3へ乗り換えた.
そして,今年に入ってから,毎日このカメラを持ち運んでいる.
今日は16mmにしようかな.56mmの気分だ.なんだかいい光景と巡り会えそうだし,2本持っていっておこうかな.みたいに.
ちょうど,2019年度も終わりつつあるので,最近撮った写真を振り返りつつ,カメラを握ることについて思うことを書き残しておこう.
何気なくカメラを片手に歩き,何気なくシャッターを切る.
それは観光地だったり,日常の大半を過ごす大学だったり,たまたま通った道端だったり.
観光地の写真なんて,ポストカードのようにドラマティックには決して撮れないし,
日常のストリートフォトなんて,それこそ自己満足でしかない.
高いお金をかけてカメラとレンズを買い,そしてその重いカメラとレンズをバックに入れて.
一見すると,とても無駄なように思える.
でも,普段の何気ない生活で,その時の自分の感性で,自分のセンスで,そして,たまたまそこにあったレンズ(画角という意味で)で,その美しさを記録すること,このことに価値を見出してしまう.
また,人はレンズ(光学機器という意味で)を通じてしか,画像を記録できない.
そして,レンズを通じて世界を切り取った写真には,その撮り手の内部状態が刻まれる.
感性,感情,センス,情緒,不安,...
そういうものって,あとから写真を見たときに,淡く蘇ってくる.
自分の見つけた美しいものを,整理していく,という意味でも,
その時の自分の内部状態を,淡く保存する,という意味でも,
そして,文字には表せない,様々な意味でも,
多分僕は一生写真を撮り続けるんだと思う.
ちょっと話題を変えて,白黒写真について.
ここのところ,白黒写真をよく撮る.
白黒で撮ると,なんでもない写真が,かっこよくなったりする.
陰影とか,金属光沢とか,白黒写真ととても相性が良いように思う.
かっこよく化けることがあると同時に,色の鮮やかさのトーンやコントラストでそれっぽく見せるのは難しく,適当に撮ると簡単に破綻したりする.
そういう意味では,ただでさえない美的センスを養うのに,ちょっとは貢献しているのかもな,とも考えたり.
そういったことに加え,僕は,白黒写真には人とは違う感情を持っている.
例えば下の二枚の写真を,“カラー写真” だと一瞬誤認することがある.
他にも,僕には満開のソメイヨシノの花は,“白色” にしか感じられない.
まあ,ただ,いわゆるよくある色覚異常なのだが,そういうこともあって,カラー写真を現像時にいろいろいじるのは得意ではない.
逆に白黒だと,そういうことを意識せずに表現できる.
この,“色” に対する認識,意識,理解は,僕の中でも面白いな,と思うこともあって,近いうちにまとめて公開しようと思っている.
昔から適当に書きなぐった物はあるのだけれど,まとめられていないので,いい機会だと思って.
ここ3か月の写真を見返していただけなのに,あらぬ方向へ脱線してしまったが,まあよしとしよう.
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