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新卒入社したCookpadを退職しました(後編) ―社会人博士としての2年間―

事象発生日:2022-03-01

記事公開日:2022-04-25

アクセス数:6181

大好きだったクックパッド株式会社を,2022年2月末日をもって退職しました.

2018年にはじめてインターン(アルバイト)として働き始め,そして2020年には新卒として正社員入社させていただきました.

 

宇宙工学の博士後期課程の学生と,IT企業の新卒社員という二重国籍状態がここで終わりました.

3年前の人生の選択が1つの節目を迎えたので,その振り返りを二編に渡って書き残したいと思います.

 

なお,トップ画は Cookpad 新卒入社に控えた2019年当時の僕の研究室デスクです.

はじめに

この記事は,下の記事の続きです.

 

紆余曲折あり(前編参照),博士進学(通称, "D進")しつつ,研究とは全く関係のないIT企業に新卒入社しました.そして,その新卒入社した会社を2年で(アルバイトも含めると4年で)退職しました.後編では,その社会人博士(社会人博士というと,研究と社会人がリンクしていることが一般的だが,ここでは全くリンクしていない)2年間を振り返ってみたいと思います.

結論

3年前,純粋な博士後期課程進学を選択するのではなく,博士進学とともに新卒での就職を選択したこと,今振り返ってもとても良い決断だったと思います.もちろん,苦しいこともたくさんあったけれど.

 

博士進学していると,同じ大学に9年間も滞在することになるわけです.そして,大学は "研究" という純粋な行為を極めるための場所です.前編の『』にて,社会人として Cookpad で学んだたくさんに事を書きました.これは大学に残っていては学べないものが大半です.その要因は色々あると思いますが,大きな要因の1つは,アカデミアがとても閉鎖的な場所であること,そしてもう1つは学生という立場がお金を払い指導してもらう立場であり,責任を背負って人やお金を動かすことができないことである,ということだと気づきました.

 

一般社会の対比としてアカデミアを捉えられるようになったこと,そして,一般社会で成長できたことはもちろん,オープンでフラットな社風な Cookpad を選んだということも,結果としてとても良かったです.

 

また,すこし本題とはずれてしまいますが,今 ArkEdge Space Inc. を起業している身として,やはり社会人として会社や事業についての勘所が多少なりともあるかないかは,とても大きいと思っています.会社のポリシー策定,制度設計,組織体制,人事,全てにおいて,社会に出たことが活きています.

この2年間の実態

さて,きれいごとを並べましたが,この2年間が実際のところどうだったのかを少しだけ書き残しておきます.

時間の割き方

この期間の一ヶ月の労働時間,大学での活動時間はだいたいこのぐらいでした.

活動時間(時間/4週)
  2020年    2021年  
社会人 (Cookpad)10872
大学 (研究室プロジェクト)8872
大学 (研究)1620
大学 (その他)2016
起業 (ArkEdge Space Inc.)1870
合計250250

月の残業時間(に相当するもの)が90時間なので,普通に過労死ライン超過です.自分で言うのもあれなのですが,この2年間はおそらく寿命を縮めました.

この時間については,(不謹慎ではあるのですが)昨今のコロナが僕には有利に働きました.というのもこのコロナのお陰でリモートが増え,通勤時間は大幅に圧縮されました.また,可能な限り調整しようとしてはいたものの,同じ1日の中に仕事の会議と大学や起業の会議が入り乱れることは日常茶飯事でした.そんな中,リモートだと,机の右側に社用PCとモニタ,左側に私用PCとモニタを配置することで,椅子の向きを変えるだけの1秒で作業のコンテキストを変更することができたのです(脳内コンテキストスイッチのオーバーヘッドはもちろんありますが).

 

社会人2年目で Cookpad のエフォートが下がっていたのは,理由があります.修士時代に受給していた奨学金の規定で,日本学術振興会特別研究員(通称 DC)に応募することが必須でした.DC には研究専念義務というものがあり,ここ最近は大きく緩和されたものの,雇用保険や社会保険等への加入条件に該当するような勤務形態で働くことが禁じられています.博士1年時は無事に採択を免れた DC1 ですが,博士2年時に(博士1年時とほぼ同じ申請書で提出したのにもかかわらず) DC2 に採択されてしまい,2020年と同様には働けなくなってしまったためです.それで減った Cookpad のエフォートは大学に向かうことはなく,起業活動へと向かってしまったんですけどね.

 

さて,この2年間で研究がほぼ進んでいないのがわかると思います.そして,本来研究に割くべき時間の大半が研究室プロジェクト(つまり人工衛星開発)に割かれていました.これは,なんとも申し上げにくいのですが,所属する研究室の性質上,そういうもの,なのです.弊研究室では,論文休みと呼ばれる期間を除き,皆が研究室プロジェクトに注力する文化があります.論文休みとは,卒論を書く B4 は11月の1ヶ月間,修論を書く M2 は11月~1月の3ヶ月間,そして博論を書く D3 は D3 の1年間です.つまり,社会人博士をしていたこの2年間であまり研究が進んでいない,というのは,弊研究室においては取り立てて問題ではなく,これもある意味僕にとって都合のいいことでした.

もちろん,研究はさておき研究室プロジェクトには他の学生同様の貢献をしたため,上表のような活動時間になっているわけです.

 

これまた本題からずれますが,おそらく今年度の前半は,活動時間の45%を研究,50%を起業,5%をその他,といった割合になりそうです.

複数のことに手を出した結果

このように,自分の時間を複数のことに分割した2年間だったわけです.

大学の活動については,まあ,取り立てて大きな問題はありませんでした.

起業について言えば,もちろん時間が全く足りてないので,もっと時間が欲しかったです.後述する社会人活動とは違い, "純粋に時間が足りない" であって,時間があればできることが純粋に増える,という状態でした.そんなこともあり,このタイミングでの Cookpad 退職につながったのです.

 

問題は社会人活動です.先述した通り,すごくたくさんのことを経験し,学ぶことができました.でも,入社前はもっとできると思っていました.

ある種の特別待遇で新卒入社させてもらいました.それに見合うだけの貢献をできたかというと,多分できてなかったんだと思います.社内評価はさておき,自己評価はそうです.不甲斐なく,かっこ悪かったと思ってます.そう思う理由は,技術的なキャッチアップを必死にできなかったこと,そして,自ら進んで事業部に食い込む事ができなかったことです.

学部,修士時代にインターンやアルバイトで様々なベンチャー企業で働かせてもらったときは,本当はできるかどうかもわからないことに対して「できます」とホラを吹き,仕事をもらってから必死に必要な技術をキャッチアップすることで,成果を出し,そして自分自身の成長につなげていました.しかし,このときのように余裕のあまりない生活をしていると,そういう立ち振舞があまりできませんでした.仕事をする上で,手早く身に着けておくべきだった技術は Rails やデータベース,AWS や社内インフラなどたくさんありました.それを半人前程度であったとしても自分のものにできていれば,社内でもっといろんなことに反応できたし,その道のプロがゴロゴロいる社内でより大きな学びを得られたはずでした.

次に,もっと事業部に食い込めたはずだったことについてです.これは純粋に非フルタイムではきつかった,というのが正直な感想です.研究開発部の自分が事業部に食い込み,事業部の課題を研究開発部の人間として解決していく.そのためには,日々社内にアンテナを張っておくことが必要不可欠です(事業部に物理的に出入りしたり,Slack や GitHub 上の issue をウォッチしたり).非フルタイムだと,どうしてもそのアンテナの感度が落ちます.そして気づけば,「どうせそこまでコミットできる時間もないや」と,積極性まで落ちていました.

このことが,Cookpad での社会人活動の最大の後悔です.

 

今,起業した ArkEdge Space の Slack の全チャネルに入り,一通りすべての Slack と GitHub issue に目を通しているのは,この反省からです.

最後に

といったこともあってもなお,3年前の決断,つまり,純粋な博士進学ではない,無理してでも社会に出る,という決断は肯定していいものだと思っています.そして,それを3年間やり遂げることはできませんでしたが,最低限の学びが得られる程度にはできたことについて,少しぐらいは自分を褒めてもいいのかな,と,退職してから2ヶ月経った今,思ったりするわけです.

 

そして,2年間,潰れずに生存し続けられたのは,やっぱり,ふらりと地方のきれいな土地を訪れ,そこの日本酒と肴をたしなみ,そして気の向くままにシャッターを切る,という,文化的な感性を失わない趣味(?)を続けられていたことが大きいのかなぁ,などと思ったりするわけです.

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本州最南端の地にて
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萩の夕暮れ

 

P.S.

この2年間,どんなところを訪れ,どんな風景を切り撮ってきたかは,次を御覧ください.

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