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2022年まとめと2023年への抱負

事象発生日:2022-12-31

記事公開日:2023-07-24

アクセス数:1646

博士後期課程 3 年,新卒入社した Cookpad の退社, ArkEdge Space での務め,超小型深宇宙探査機 EQUULEUS の打ち上げ・運用と超小型衛星 STAR SPHERE のシッピング,フィルムカメラの沼,出会いと別れ,人生の転機.まぁいろいろあった一年でした.

 

なかなか振り返る暇もなく,このブログを公開するのは 2023 年の 7 月になってしまいましたが,2022 年の振り返りと 2023 年に向けての抱負です.

はじめに

毎年年末にその年の振り返りをしています.

2022 年の年末が,下の通りとても忙しく,年が明けても博士論文最終試問 & 執筆,仕事での国プロの締めなどで忙殺され,2022 年の振り返りが今(2023 年 7 月中旬)となってしまいました.

 

したがって,これを執筆中には,2022 年年末時点では不明・懸念であったいくつかの物事がすでに解消されていたりもします.

まぁ,そんなわけですが,このまま振り返りをしないのも気持ち悪いので,やってきましょう.

(なぜかスマホからだと tweet の埋め込みがうまく展開されないことがあるので,その場合は PC で閲覧ください.)

 

なお,2022 年の写真の振り返りはこちらです.何へファインダを向けていたか,という観点ではこちらを.

時系列順 2022 年振り返り

まずは順に今年の振り返りをしていきます.

1 月

2021 年 12 月に購入した中判フィルムの二眼レフカメラを買ったことで,これを連れ回す生活が始まりました.

 

研究では,衛星編隊飛行 (衛星フォーメーションフライト) のダイナミクスを地上で模擬するために,産業用ステッピングモータを高精細に動かせるようにリバースエンジニアリングしていたのですが,全然上手くいかずに苦しんでいました.

 

共同で創業した株式会社アークエッジ・スペース (ArkEdge Space Inc.) での仕事では,このころは Rust で人工衛星用の OS (マイクロカーネル)をつくるぞ! ということで,様々な PoC を回したりしていました.

現在は,ゼロから OS を作っていくのではなく,既存のものを徐々に Rust に寄せていく開発が主流となっていますが, Rust での Open な衛星用コンピュータの実現は諦めていません.

2 月

2 月末日をもって,2020 年に新卒(修士課程修了のタイミング)入社したクックパッド株式会社 (Cookpad) を退職しました.

本当にいい職場で,もっと在籍したかったと今でも思います.

そして,これでいわゆる社会人博士,ではなく,宇宙工学の博士後期課程の学生とIT企業の新卒社員という二重国籍であった生活が終了しました.

 

当時の心境や,経験や学び,挫折は下でまとめています.

 

2021 年の後半頃からは, ArkEdge Space の活動も本格的になり,二重国籍どころか三重国籍になっていました.流石に体への負荷が尋常じゃないな,や,すべてをやりきることができないな,と感じたりしているところでした.

3 月

3 月第一週には,ISTS (33rd International Symposium on Space Technology and Science) という,2 年に一度日本で開催される,宇宙系の国際学会がありました.

「学会はオフラインでやらないとだめだろ!」という開催委員会の強い意志のもと,直前まで別府での開催の予定でしたが,コロナの流行で直前にオンライン化.これにより,このときの(博士進学しない)修士 2 年生は,研究室配属中,一度もオフラインでの学会を経験せずに卒業することが決まってしまいました.本当に可哀想....

 

この時,

Initial Result of High-precision Control Experiments with Optical System for Synthetic Aperture Telescope Using Formation Flying Micro-satellites. 2022-f-34.
Improvement of C2A (Command-Centric Architecture) Reusability for Multiple Types of OBCs and Development of Continuous Integration Environment for Reliability of Flight Software. 2022-f-58.

と,研究(超高精度衛星編隊飛行)と人工衛星のソフトウェアについての 2 本を筆頭で口頭発表しました.

2 本も? と思われるかもしれませんが,これはすごくもなんともなく,研究等に投入できる時間がなく,手っ取り早く国内開催の国際学会でまとめて発表しちゃおう(国際学会の参加は準備ふくめてめちゃくちゃ大変なので....)という手抜きです.まぁ,代わりに発表資料を同じタイミングで 2 つ作らねばならないのはめちゃくちゃだるいのですが.

 

研究室で開発してきた超小型深宇宙探査機 EQUULEUS (詳細は「」のところに貼っている初期運用ブログ参照)の運用訓練が,このあたりで佳境を迎えていました.

やはり運用訓練すると,ソフトウェアのバグ(というより,実際に運用をしてみてらこの仕様イマイチだなぁ,みたいなの)や運用でケアしないといけないことが結構でてくるものです.しかしながらすでに衛星そのものの開発は完了しており,ソフトウェアの書き換えはできない,という何とも言えない苦しみを味わったりしていました.ま,こういうところは大学衛星だと限界があるので, ArkEdge Space ではガンガン改善してばいいだけ,なわけです.

超小型深宇宙探査機 EQUULEUS

4 月

ついになってしまった博士後期課程 3 年(通称 D3).

 

研究室ルールで,D3 になると,研究室プロジェクト(当時は,JAXA (ISAS) との超小型深宇宙探査機 EQUULEUS,Sony との 宇宙感動体験事業 STAR SPHERE 衛星,台湾国家宇宙センター (TASA) との衛星 ONGLAISAT の 3 つの衛星プロジェクト)を離脱してよいことになっています.

したがって,衛星プロジェクトの雑務やマネジメント業などからは開放されたものの,様々な部分で重要なマイルストーンがあり,ちょこちょこはヘルプに入る,というような関わり方になりました.

 

手元の記録をみると,4 月は多分気持ちが「博論研究すすめないといよいよまずい!!!」となってたんでしょうね.仕事のカレンダに「ブロック」という終日予定をいれて,研究に集中(まぁ,実際は様々な差し込みがあり,集中なんて不可能なんですが)しようとしていた日が何日かありました.

研究テーマである超高精度衛星編隊飛行を,数値シミュレーションだけではなく,光学系(ミッション系)も伴った地上実験によって検証するための実験系の構築を頑張ってやっていました.その実験系とは下図のような感じのもの(もちろん,実験系は実験をしながら徐々に改良されていくものなので,4 月時点とは異なり,最終形態が下図)です.

博士論文の研究のために最後に構築した実験系

そういえば,博士論文まとめのブログを書いてませんね....書いておく(=誰でもがラフに読める形で公開しておく)と,いろいろ便利なので,どこかで時間作って書きたい....

 

ArkEdge Space の方は,4 月ということで人もたくさん増え(つまり部下が増えることになる),オフィスも大きくなり,環境が大きく変わりました.

会社が大きくなり,最初の成長痛(この後も色々なタイミングで成長痛を感じることになりますが)を感じたのもこのあたりかもしれません.スタートアップ企業での採用の難しさもたくさん味わいました.組織図があってないような組織から,組織全体を構造化することの難しさも体感しました.

5 月

GW は 4 月 29 日 ~ 5 月 8 日まで,ずっと旅行していました.時と場所によって行動をともにする人は違うので,基本的に現地集合・現地解散で.

 

たとえば 5 月 1 日は島根県美保関にいました.美保関という場所そのものの良さと,また個人的なイベントが相まって,多分一生忘れない気がしてます.

 

5 月 5 日は灘にいました.GW は毎年酒蔵を巡って一年分の日本酒を調達しているのですが,今年は灘を.3 日間で灘五郷の 14 の酒蔵を巡り,50 銘柄以上の酒を試飲しました.灘は酒蔵が密集していて,まわりやすいですね.

 

そして 5 月 8 日は奥鬼怒温泉郷にいたのですが,なんと生誕 10,000 日目を迎えたらしいです.よくくたばらずにここまでこれたなぁ....

 

5 月はこの 1 年の仕事上,おおきな変化点がありました.

諸事情があり,あるめちゃくちゃスケジュールタイトな国プロのメイン担当になることになりました.

僕自身の主業務は,ArkEdge Space に必要なソフトウェアや基盤システムをまるっと開発するチーム(このチームについての詳細は,『宇宙業界にソフトウェアの力で挑むチームができてから1年が経ちました - ArkEdge Space Blog』を参照)をまとめて率い,そして自らも開発に参画(自ら手を動かして実装する)することです.それに加えて,ひらたくいうとある衛星開発のプロマネ(もちろん一人で務まるはずもないので,様々な方々のサポートを頂きながら)をすることになってしまいました.

 

これまで深くは考えてこなかった衛星システム全体についてや,電気,構造,熱,通信といった他系のこと,予実管理・スケジュール管理・調達といった各種管理,衛星ミッション部とのインターフェース調整,そして社内・社外の調整業,やること考えることがとても増えました.

これによって忙しさは格段に増しましたが,これまでよりもずっと高い視点で衛星開発をみることができましたし,なによりこのプロジェクトを通して知り合った / 一緒に仕事をさせてもらった / ご指導承った 方々との関係は一生ものになりそうです.技術的なことだけではない,多くのことを学ばせてもらいました.

このプロジェクトは,2023 年の 2 ~ 3 月に最大の山場を迎えたのですが,無事に乗り越えることができてとても安堵しています.

 

また 5 月は,ある web メディアから取材をうけました.

メディアについては,いろいろなところで様々なことを言われていますが,似たような体験をしました.記事公開前にドラフトを見せてもらったのですが,まぁ僕の言ってはないこと(正確に言うと,誘導質問に乗らないように注意深く言葉を選んで発言したことに対して,全く異なること)が原稿に散りばめられていて,驚きました.あぁ,これが予め書きたかったストーリーなのか.と.

「これは言ってないので書き換えてくれ」とか「こういうニュアンスで言ったはずだが,コンテキストが違いすぎる」といったような修正指摘をいくつかいれて返却し,その後に届いたセカンドドラフトを見て,失望.全然直ってませんでした.結局,大半を自分で書き直して返送すると,その書き直したままで記事が公開されていて,苦笑しました.

 

我々は,例えば論文とか,講演とか,はたまたブログなどでの主張や論が,自分自身の実績,そして対外的な人格になっていくわけで,自分が思ってもないようなことを自分の名前のラベルを付けて一般に公開されると非常に困るわけです.「xx さんは過去に yy で zz ということを言っていた」となるわけです.ライター自身の主張を人の名前を使って流布しないでほしいわけです.(あとは,プロのライターとして,素人がドラフトに入れた文章を編集・校閲せずにそのまま使うのはどうなの? とも思うが....)

まぁ,最初のドラフトからは修正はされたのでダメージはなかったですし,いい社会経験ができましたし,もし今後同じライターが関連する依頼がある場合は注意しよう,というだけなので,いいんですが.

 

3 年ぶりに五月祭が現地開催されました.

駒場祭はどうせ博士論文でそれどころではないはず(そして実際もそうなった)で,大学院生詰め合わせでの最後の発表を五月祭の『10分で伝えます!東大研究最前線』という企画でしてきました.タイトルは『人工衛星を取り巻くソフトウェア事情』です.

その時の発表スライドは以下で公開しています.

6 月

人生で初めての日記を始めました.

モチベーションとしては,「いつ,どこで,何をしたか」を記録したいと言うのが一番大きく,あまり感情的な部分をしたためているわけではないです.日記は始めたいなぁとを長らく思っていたのですが,次のようなきっかけがあって今回始めることになりました.

長く付き合いがあったある人が異動することになり,これまでの様々な苦労や思い出話を散りばめたメールを送り合っていました.そういう文章を書いていると,ふと,「あれ,あの 5 年前あそこで飲んだ飲み会のとき, xx さんって同席してたっけ?」などを確認したくなるわけです(もし間違えると大変失礼).僕は本質的に人間の顔と名前を覚えるのが苦手なので,そういう意味でも人間関係の事実関係をきちんとログとして残したいと常々思っているさなか,クリティカルな事象が発生した,ということです.

実はまだ続いています.この日記は今後も欠かさず続けていきたいですね.

 

6 月といえば,3 月と並んで缶サットの季節ですね.

今年は久しぶりに(リモートではなく)オンサイト開催ができて,とても良かったです.

 

仕事では,6 月は一般業務終了後,夜な夜な会社の方向性について議論する会が何度も開かれ,何度も(終電を逃して)タクシー帰宅しました.コロナもありなかなか主要メンバが直接顔を合わせることもなかったため,さぁまとまって議論するぞと始めたら,思いの外話すトピックがたくさんあったわけです(なぜもっと早く始めなかったのか....).

そして例の国プロでは,様々な企業の方とのコミュニケーションを開始するに当たり,考え方や様々な制度,法律,慣習への理解などで,自分の未熟さを痛々しいほど痛感する日々でした.

 

5 月にプライベートで転換点があったため,様々な人と会いたいなと思い,広く「飲みませんか~~~」を募集しました.ありがたいことに沢山の人からレスポンスをもらい,6 月の夜は毎週 3, 4 日は誰かしらと飲んでました.コロナも一段落した頃でしたし,そういった文脈での人の縁の回復も兼ねて(そして本題の話もして),よい機会でした.

7 月

胸痛で軽く倒れて救急搬送されました.

このご時世に気軽に救急車もな,と「救急相談センター」に電話したところ「救急車呼んでください」と言われてしまったので....

気胸を疑われたため,ドレーン(? 手術?)ができる(?)病院を重点的に探索していたようでしたが,コロナ禍 & 休日,ということで全然受け入れ先が決まらず,しまいには「東京ルール」というものが宣言され,応急処置のための病院に運ばれました.

救急車での救急搬送は,2018 年 7 月の尿管結石以来,2 回目です....あのときは普通に意識を失っていました.

今回は病院でも特に原因は分からず,その後町医者で数回診療し,それでも不明なので紹介状をもらって精密検査をしていましたが,それでも原因不明.血液検査でわかる炎症等はないので,心臓は問題なく,あとは整形外科的なものでは? という始末でした.

 

救急搬送された翌週は,四国で二番目に高い山である剣山に登山に行ってきました.

山頂宿泊,かつ,月の暦も完璧,ということで,登山に最適なレンズ構成(つまり広角,標準,望遠ズーム) + 星空撮影に最適なレンズ構成(つまり様々な画角の単焦点) + ROLLEICORD + 山頂で現像して tweet したいよね(つまり PC),という,トータル 18 kg を担いで登る羽目になりました.結局持っていった機材はすべて使ったものの,呼吸器を痛めたあとはこんなにもパフォーマンスが落ちるのか...,というぐらいしんどい登山となってしまいました(尋常じゃないほど汗をかいた).

(ほぼ)新月の剣山での星空は,とても綺麗でした.そして,それを中判ポジフィルムにも収められたので,おそらく一生忘れられない登山になりました.

 

この頃,ArkEdge Space の業務で, JAXA と頻繁に会議していました.JAXA の衛星開発で言われる「要求仕様」という単語に頭を悩まされていました(要求と仕様は別だろ,という).営利企業で,ビジネス可能な形で,さらに(量産衛星ではなく)一品物の衛星を,理学者らとも共に開発する難しさよ....

8 月

8 月の上旬は, SSC (Small Satellite Conference) という世界最大の小型衛星の国際会議に参加しており,それで潰れました.SSC には,2018 年に一度参加しており,その時のブログをここにも貼り付けておきます.

 

今回の SSC では,東京大学と ArkEdge Space で一緒にやっている衛星開発関連ソフトウェアの話を発表してきました.また,様々な宇宙用コンピュータボードや地上の衛星運用システムなどの調査,様々な人々とのネットワーキングなども行ってきました.SSC に行くと,アメリカを中心とした小型衛星の潮流がわかるので,これからも定期的に参加しようと思っています.

コロナもあり,アメリカ出国 72 時間以内に PCR 検査を受けなければなりません.これが本当にクソで,会議期間中に半日潰して PCR を受けました.SSC は,毎年ユタ州立大学(Logan という田舎町にある)で開催されます.その近辺の町医者でも PCR は受けられるのですが,日本から予約可能,かつ,日本入国時のフォーマットに対応した検査結果証を確実に出してもらえるところで確実に検査したい,ということで,わざわざソルトレイクシティ国際空港まで戻って検査を受けることにしていたのです.

SSC には,自社も含め,日本人の知り合いが何十人も参加していました.その中で,自社 1 名を含む,10 人弱が陽性をだしてしまい,皆いろいろと大変そうでした.アメリカでは誰もマスクなんてしておらず(西海岸ではちらほらしている人はいた),アメリカ滞在中に感染するかどうかはガチャでしかないわけです.そして,陰性証明さえ出てしまえば残りの数日はやりたい放題すごせる雰囲気で,それもそれでなんだかなぁ,という感じです.そんな感じなので,現行の帰国前 PCR 陰性証明が必須な限り,海外出張のモチベーションは全く上がりませんし,ひいてはこれはものすごく日本の国益の損失ではないか....と思うわけです.

 

8 月末は,大学でずっと開発してきた超小型深宇宙探査機 EQUULEUS の打ち上げ予定日がありました.僕自身も相模原にある JAXA 宇宙科学研究所 (ISAS) で打ち上げを見守り,その後の運用に備えていました.

EQUULEUS はアメリカの新型ロケット SLS (Space Launch System) の初号機で打ち上げられます.しかし,初号機故か様々な不具合を出しまくり打ち上げは延期続き.8 月末も打ち上げカウントダウンは行われたものの,直前にエンジントラブルが勃発し,延期されました.

その後も何度も打ち上げは延期され, "Scrub Launch System" などと揶揄された挙げ句,実際に打ち上がったのは 11 月で,その詳細は「」に記載します.

 

8 月は研究でも大きなポイントを迎えました.忘れもしない 8 月 22 日の朝 4 時ごろ,この日も夜な夜な徹夜で大学の実験室(光学実験なので暗室.実験系は「」にある写真のもの.)で博士論文の実験をしていたところ,大きな進捗がありました.詳細は省きますが,衛星編隊飛行での分散光学系を模擬した実験系で,白色光源に対して干渉像を取得することに初めて成功しました.これまでずっと数値シミュレーションで議論していた理論が,ついに実世界でも実証できたわけです.もちろん博論執筆のためにはまだまだすべき実験はあるのですが,これでようやく博論がなんとかなり,卒業できそうだ,という気持ちになれました.

9 月

博論の中間試問で破滅した月.

 

プライベートで非連続的な変化があったのもこの頃.

そして,会社の組織体制でも大きな変化があったのもこの頃.この頑張りのお陰で,今があるな,と思えます.

10 月

この頃は,仕事では採用が全然思うように進まず,結構苦しかったのを強く覚えています.

結果のでない採用は,自分の時間だけがどんどん消えていくだけなので.それにしても,採用や人事評価はとても難しいと今でも思います.みなさんはどうしてるんだろうなぁ....

 

10 月といえば,イプシロンロケット 6 号機(そしてこれは最後のイプシロンロケット)の打ち上げとその失敗がありました.

イプシロンロケットにも,その主ペイロードである革新的衛星技術実証 3 号機にも知り合いが携わっていました.さらにサブペイロードの 1 つである「編隊飛行技術試験衛星 MAGNARO」は,開発メンバとの深い交流もありましたし,フライトソフトウェア開発でも様々なコミュニケーションをさせてもらいましたし,さらには衛星編隊飛行のミッションということで,非常に楽しみにしていたので,本当に悲しかったです.

 

一方で,大学研究室で初期検討から主要メンバとして携わり,そして,ソフトウェア統括として開発していた衛星 STAR SPHERE EYE がこの時シッピングされました.年明けに打ち上げです.

 

10 月の週末はほぼ外出をしていました.

第 2 週は伊香保温泉へ.伊香保は温泉地でもかなり上位に入るほど好きです(あと好きなのは,下呂や有馬,城崎あたり).あのいい感じに寂れているのが推しポイントです.

第 3 週は Cookpad の新卒同期と千葉で旅行していました.古民家を貸し切って,夕食を作り,夜通し語り合う,そんな感じでとても良い旅行でした.すでに Cookpad は退職済みですが,新卒同期とこうして旅行にいけるのはありがたい限りですし,そこでの会話はとても楽しく有意義です.

第 4 週は,「鉄道開業 150 年記念 JR 東日本パス」で東北旅行でした.例によって例のごとく,ローカル線を乗り回していたのですが,山田線が線路内支障物(鹿の死骸)と落ち葉による空転で大幅遅延し,旅程が大きく崩れたのが思い出です.

最終週は法事で実家まで戻っていました.

11 月

11 月は,久しぶりの現地開催学会から始まりました.

詳細は下の記事を参照してもらうとして,やはりオンサイト開催学会はいいですね & 相変わらず「宇宙科学連合講演会」という学会は,「宇宙系」というゆるいスコープの同窓会ですね.

 

そして,印象的なイベントである,深宇宙探査機 EQUULEUS の打ち上げもありました.

初めて自分ががっつりと関わった衛星が打ち上げられ,そしてその運用に関わることができました.博士論文やら ArkEdge Space やらもあり,初期運用のみの参加とはなりましたが,感慨深かったです.また,順調にフルサクセスまで達成してくれて,驚きと喜びと学びにあふれていました.

 

FUJIFILM X-T5 の発表と購入も個人的には重要なイベントでした.

ようやくメイン機を X-S10 から X-T5 に移行できたわけです.T シリーズの操作系 + 3 軸チルト式 + IBIS 搭載のカメラを何年待ったことか....

X-T5 を購入してから,露骨に撮影枚数が増えてます.コロナの落ち着きももちろんあるとは思いますが.

 

他にも 11 月はなかなか濃い月でした.

 

ArkEdge Space のほうでプロマネをしている衛星開発案件が 12 月以降がなかなかの山場で,11 月には博士論文の目処をつけておきたい,論文執筆はさておき(?),少なくとも実験データは取得完了しておきたい,という気持ちがありました.

そのため, 11 月は何度も大学に宿泊し,夜な夜な暗室で実験を繰り返していました.実験はアライメント調整やキャリブレーションの都合から,数時間ぶっ続けで行いたいものの,日中は業務などの差し込みが頻発するために,深夜ぐらいしか落ち着いてできないんですよね.なんか,修論のときも似たような状態でしたね....実験データのタイムスタンプが,だいたい深夜の 3, 4 時ぐらい,みたいな.おかげさまで 11 月中に博論を執筆するのに必要な実験を完了することができました.もちろん,その後に論文を執筆しながら気になったところのデータを取り直す追試は発生しましたが,「これで(自信を持って?)博論を執筆できる!」という状態に持っていけたのは,精神的にもスケジュール的にもとても大きかったです.しかし蓋を開けてみれば,実験を終わらせておけばなんとかなる,というのは(修論はともかく博論では)だいぶ甘い見積もりで,後述するように 12 月はかなり生活はすさんで疲弊していましたし,年が明けた提出直前にもデスマーチといくつもの諦めが発生することにはなるのですが.

専攻会議で自分の博士論文のタイトル受理され,『超高精度衛星編隊飛行のための相対位置・姿勢制御法の構築に関する研究』で確定したのもこの頃ですね.

 

例のプロマネをしている案件でも, 2 つほど印象に残ってることがあります.

1 つ目は様々な分野のレビューについてです.この頃,ミッション機器側の機械設計,電気設計が fix しはじめ,設計から製造に移っている時期でした.機械設計も電気回路設計も,知識も経験も乏しい中,その部分のレビューや,衛星バス側としての承認を責任を持ってする必要があり,かなり大変でした.様々な方々の協力によって,なんとかなった(顕在化してないだけでなんとかなってないかも),というのが実態でした.

2 つ目は衛星の高度な姿勢制御の設計哲学についてです.衛星設計哲学は,系譜が全く異なる大型衛星と超小型衛星では大きく異なります.もしかしたら,その違いがもっともクリティカルに衛星全体に効いてくるのが姿勢系 (AOCS 系) なのかもしれません.ここの狭間というか,わからなさというか,そもそもそういうことを想定していないということへの対応というか,モヤモヤの中で仕事を進めていたのを覚えています.

 

悩み,でいうと,衛星製造業における IT 業,ないしは,ソフトウェアの力で宇宙業界に変革を起こしていく,ということ,さらには,ArkEdge Space がその能力を保持するためにはどういう組織をつくり,カルチャーを醸成しているか,ということをすごく考えていた月でもありました.

Web 系といったバックグラウンドの方々がどう力を発揮できるのか,であったり,"Software Is Eating The World" を念頭に置いた時,ハードウェアを製造している企業はどうカルチャーをまとめていけばいいのか,実は我々はそのカルチャーの醸成にすでに失敗しているのではないか? そもそも,ソフトウェアとハードウェアの二項対立という構図は最悪なのでやめるべき,など,ぐるぐるとずっと思い悩んでいました.「発想としては IT 企業に人工衛星をつくらせたほうがいい」など,そういった議論をしていたメモが手元に残っています.

12月

一言でいうと,これまでやってきたことの上に,博論執筆がどっと重くのしかかった月でした.

博論を書くためのネタとアイデアはあったので,なんとかなるだろと軽く見ていたのですが,完全に見積もりが甘かったです.博論の執筆は,やはり卒論・修論とは比べ物にならないほど大変でした.序論から結論まで,終始きちんとした論理が流れている必要があるので,その展開の設計や論理をつくるのに,ものすごい試行錯誤が必要でした.加えて,細部の展開や正確さまで手を抜けないため,気づくと細かい箇所で時間は溶けるは, TODO / FIXME は単調増加するは,でいっぱいいっぱいに.

 

仕事で正月から海外出張なことや,副査の先生との議論の予定などの関係から,年内にはファーストドラフトを書き上げることが必須でした.

そんなわけでなんと, 12 月の最後の 1 週間で 4 kg ぐらい痩せたのでした....

年越し前後で出したこのドラフトは, FIXME が大小あわせて(大,はまるっと 1 節 だったりもする....)およそ 120 個残っていました.

以下は年越しの瞬間(≒ドラフトリリースの瞬間)の心の叫びです.

 

このあたりの背景についてはここで書いています.

 

話題はガラッと変わって,この年末に人生でもっと印象深い(衝撃的,というとこれを超える別のお店はある)食体験をしました.

クジラ料理と日本酒とのペアリングです.

前菜から始まる各料理を,ただクジラを食べてるんだなではない,クジラを活かした "料理" として成立させており,そして,たとえば捕れる個体数が極めて少ないがゆえの品質の安定しない難しさなどクジラ特有の背景だったり文化だったりも感じられる,そういった食体験でした.共にお店に伺った人も,自ら飲食店を営むほど食に造詣が深いこともあり,話は弾み,当初予定していなかったような料理も出していただき,最後はマスターと一緒に飲食して終電をなくすというほど.

一つのクジラ料理の極みを感じた気がし,そしてこれはまったく採算がとれてないなとも感じ(1 日 1 組しか取らない上に,安定供給されないゆえ,店を開けないときもあったりと,実際にそのようでした.なのでぼちぼち店を畳んで,もっとカジュアルでわかりやすいクジラ料理も出す店に変えるそうです.),さらには,「今日はここしばらくでもっともいいパフォーマンスが出た日でした」とも言われ,これはもう一生体験できない(店の存続も,食材の再現性も見込めないため)経験をしてしまったぁなどと思ったわけです.

なお,お会計は,「原価はこれぐらいなので,好きなだけお支払いください.」でした(通常営業だとコース代金は固定.今回はそれ以外も頂いたりした上に,上記ふくめ様々な会話を交わした上で,そう言っていただけた).

 

このクジラ料理の店主もふくめ,新しい出会いや別れもありましたし,12 月はなんだか様々な方々との,人となりや琴線に触れることの多かった月でした.

個別の振り返り

トピックごとに振り返っていきます.

研究・大学生活

」でも何度も登場する博士論文(とそのための研究)が苦しい一年でした.

ただ単に研究が進まない,進める時間がない,結果が出るのかわからない,という不安や焦燥感のみならず,この記事でも言及しているような,「自分の博論の本質」とか「自分の研究の意味 / 自分の研究へのコンプレックス」とか,そういうことを悶々と考えてしまうという苦しさもありました.

 

D3 なので研究室プロジェクトを離脱している(「」参照),他の仕事もありあまり大学に登校していない,登校したとしても研究で一人暗室に籠もっている,そもそもコロナ禍,などの要因から,後輩たちとのコミュニケーションが薄くなってしまったのは,ちょっと残念であり,また反省ポイントです.2023 年 3 月の卒業後,コロナ明けの雰囲気とともに,これまで関わってこなかった様々な後輩と関わることが増え,いろいろと物事が大きく / 新しく進むようになってきています.そのことを実感するたびに,このときは損失だったんだなぁ,と感じるわけです.

 

来年以降に向けて,自分の研究(というよりかは実験機材)を引き継いでくれる先を見つけることが,大事でありかつ不安要素です.

僕は研究室内では,研究(衛星プロジェクトではなく)でがっつりと実験をする久しぶりの学生でした.修士 1 年から博士 3 年までの 5 年間で,かなりの研究費,おそらく学生の中ではダントツの研究費を使わせていただきました.僕の卒業とともにこの実験機材がホコリをかぶるようになってしまってはあまりにも無責任なので,引き継ぎ先を見つけたいわけです.研究室内でもここ最近は,とくに衛星編隊飛行の文脈で実験をする学生は増えてきています.パーツレベルであっても彼らが有効活用できるように,購入機材の使い方やノウハウをきちっと残していきたいと思っていますし,なによりも一番良いのは,僕の研究の先をやってくれる学生に実験系をそのまま譲ることです.

(2023 年 7 月現在の結果として,2023 年 4 月に研究室配属された学部 4 年生に研究ごと引き継ぐことができ,今でもたまに大学へ伺い,いろいろとディスカッションしたり実験機器を触ったりしています.)

仕事 (Cookpad)

2 月に退職したので,先述したこれ(その時の心境ブログ)が全てです.

 

最終出社日近辺でまたコロナが流行り始めてしまい,お別れを言えなかった人がたくさんいるのが,今でも心残りでです.また,今でもいろいろ誘ってくれる 2020 年新卒同期には感謝です.

 

そして,次に記載するように,ここでの社会人経験というものは,自分が ArkEdge Space で会社の経営や管理職(部長)をやるうえで,とても活きています.

仕事 (ArkEdge Space)

ArkEdge Space では,衛星搭載ソフトウェアから衛星を運用・管制するソフトウェア,衛星を量産するためのソフトウェアや,基盤システム・インフラなど,ソフトウェアっぽいものをまるっと担う部門を率いています.

ここのチームはどういう感じなのか,や,どういう目的意識で仕事をすすめているか,といったことは,会社ブログの方に記載しています.

宇宙業界にソフトウェアの力で挑むチームができてから1年が経ちました - ArkEdge Space Blog
大公開:ArkEdge Space のソフトウェアチームのポリシーと実現したい夢 - ArkEdge Space Blog

 

一番の苦労というか悩みというか,ずっと考えていたのは,部下を持つことの大変さです.2022 年終わりには,気づけば部員はインターン生含め 9 名にもなっていました.

手探り状態でこの部長というのをやっている中で,ずっとアカデミアにいるより,博士進学と社会人経験(修士修了後の新卒入社)を両取りしてよかったなと,とても思いました.Cookpad 時代の自分の部長との 1 on 1 での会話や,メンターからのフィードバックや,関わっていたプロジェクトのプロジェクトマネージャの言葉などが,今になってとても身にしみてきているのです.「部下の給与を上げるのは上長の仕事」,「部員の仕事を会社に認知させるのも上長の仕事」,「社員は労働市場でも価値を上げてもらいたい.スターがいる会社にすることは大きなインパクトがある」,「部定例は部員というより,上長が部員を把握するためにある」,など,ぱっと思いつくだけで,いくつもの言葉が浮かんできます.

また,部定例などの会議の仕方,部員の目標設定,slack などのツールの使い方,それこそ 1 on 1 で話すことなど,様々なことを Cookpad からパクってきました.もちろん,たくさんの会社を渡り歩いてきたわけではないので,そういったことの相対化はできてないものの, 1 つでも知っているかどうか,というのは大きいと感じています.

 

ひしひしと感じるのは,部長として,部がスケールする動きの難しさです.

たとえば,自分の適当な意思決定が他人の労働時間を食いつぶしてしまう(or 他人の労働効率を低下させてしまう)し,レビューや承認によって作業をブロックしてしまうということも感じてます.

なによりもみんなが気持ちよく働いてほしくて,一人ひとりの様子を分報なり GitHub 上でのやりとりだったり,その他振る舞いから察し,さっと必要な情報をお伝えしたり,悩みやもやもやにいち早く気づけるといい(察知できたとして,解決できるかは更に難しいのですが)んだろうなと思っていて,そういう動きはできる限りしてきたつもりです.しかし,そうした "寄り添い力" は有限であり,部員の増加とともに,だいぶ力が分散してしまったなぁ,などとも思うわけです.

 

あと,難しいなぁと感じる(というか全て難しいのですが...)のは,採用と評価です.

採用で一番悩んだのは,「そのロール / 領域における一人目をどう採用するか?」です.一人目採用,というのは,採用するときにそのロール・領域について深く理解している人間は社内にいません.そしてそういった難しさの他に,その一人目が,自社のそのロール・領域におけるカルチャーを作ってしまう,ということです.「この人は技術的にとても優れているのだけれど,チームを作っていく,という点だとなぁ~~~(二人目であれば絶対に内定を出してたのに)」といったこともしばしば発生しました.

正当で透明性の高い評価,言うのは簡単ですが,今でもなんにもわかりません.

そして,自分の理解が薄い領域で頑張ってくれてる方や,自分よりも経験豊富な方への評価や期待値コントロールについてもです.思い返せば過去自分自身も,「大したことしてないのに,なんでこんなにも高く評価されてるのだろうか(自分を適切に評価できてないのでは?)」,「むしろ「全然だめじゃん」ぐらい言ってほしいのに.確かに自分の専門以外については,どんな初歩的なことも(自分ができないので)すごいことのようにみえるけど」,などと感じていたこともあり,ちょうどその逆の立場になっていたりするわけです.

 

部長というもの何もわからん問題は書いているときりがなさそうなので,このぐらいにします.

仕事全体を通しては,これまで関わってこなかったような技術領域であったり,役割だったりをこなすうちに,今まで見えていなかった新しいことがたくさん見えてきました.同業他社や国などの組織,関連企業との関わりの中で,自社だけではなく,これからの宇宙業界全体について考える機会も増えました.そうしていくうちに,この業界でのスタートアップ企業の難しさや,そもそも産業と言えるものがない状況で,たくさんの企業・組織と協力していく重要さなどを認識しました.「自分の専門以外はわからん」なんて言っている場合ではなく,自分のすべきことを全力でしていかなくてはならないのです.

 

ま,いろいろありますが,自分自身成長しながらやってくしかないです.

私生活

いろいろありましたが,様々で忙しすぎて,それどころでは,という感じかもしれません.

でもまあ,日々楽しく生きてます.

2023 年にむけて

今この文章を書いている時には,すでに博士論文は終わっていますが,一番はそれです(それでした).

 

そして,2022 年の学びから,2023 年の個人目標(仕事であってもプライベートであっても)は以下に設定しており,常に目に入るところ(slack の個人分報の "topic")に記載してます.

 

人間に寄り添っていきたい
初心忘れずに

 

2023 年もいい年になりますように.

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