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2023年まとめと2024年への抱負

事象発生日:2023-12-31

記事公開日:2025-01-01

アクセス数:420

2023 年の振り返りですが,これを書き始めているのはなんと 2025 年の元旦です(笑)

それほどまで 2023 年末は忙しかった,ということでしょうか?(んなことはなかろうに)

一部,2024 年だから言えるコメントも混じっていますが,2023 年を振り返ってみます.

 

2023 年は,無事に大学院博士課程を修了できた一方,仕事では悩み多き一年だったようです.

 

※ Twitter (X) の埋め込みが不調で,埋め込んだ tweet が表示されないことがあります.その時はページをリロードしてください.

はじめに

2023 年は,3 月に東京大学大学院 工学系研究科 航空宇宙工学専攻 博士課程を無事に卒業し,株式会社アークエッジ・スペース (ArkEdge Space Inc.) に専念できるようになった年でした.

そんな一年を(今さらながら)振り返り,記録として残しております.

 

なお,2023 年の写真の振り返りはこちらですが,これはほぼオンタイムで公開してました!

時系列順 2023 年振り返り

まずは例年通り順に今年の振り返りをしていきます.

といっても 2 年前の記憶も忘れかけているので,Twitter と日記を漁りながら書いてます.

1 月

博論執筆の追い込みで睡眠時間と摂取カロリーが単調減少し,最悪の年明けからスタートした一年でした.

 

 

正月ぐらいゆっくりするかと計画していた旅行が,急遽決まった 1/2 からのアメリカ出張でとんぼ返りになり,温泉宿に泊まっていたはずなのに博論修正などでお湯にも浸かれなかった,というありさまでした.

 

1/2 の早朝 3:57 に博論 v0.3.0 がリリース(?)されてますね.Release を打ったのは,旅館ですね(笑)

 

 

アメリカ出張ではラスベガスで開催される CES (Consumer Electronics Show) に参加していました.

HND から LAX へ飛んだあと普通なら LAS へ飛ぶべきのですが,今回はなんと同業者との関係でロサンゼルスからラスベガスまでは陸路での移動となりました.アメリカの陸路での大移動,それはそれで楽しのでたまにはいいですね.

 

そしてこの期間中,なんと 1/3 には「STAR SPHERE EYE」衛星が打ち上がり1/6 には「OPTIMAL-1」衛星が軌道投入されました.

そんなこんなでアメリカ時間の日中は CES で仕事を,アメリカ時間の夜(日本時間の日中)は衛星運用に関連する仕事を,そして合間に博論を,という厳しい年明けでした.

 

そういえば帰国便は直行便ではなく,LAX → SEA → HND で,SEA 便が大幅遅延のせいで,LAX ではチェックインカウンタでの交渉が発生し,なんとかギリギリ間に合う便に振り返られたのが懐かしいです.SEA でもほとんど時間がなく,猛ダッシュしました.

帰国便では,帰国翌日から “副査参り” がはじまる(どうしてこうなった)ということで,泣きながら発表資料を作っていました.

 

そして 1 月末,無事に博士論文 最終審査を通過することができました.

本当によかった(このあとも論文の執筆作業は続くわけですが,ひとまず卒業の見込みがたって安心しました.).

2 月

日中は仕事,夜は博論執筆,という具合でした.

博論執筆はなかなかしんどくて,後半に行くにつれて図などが雑になってしまったし,textlint を入れよう入れようとしていたにもかかわらず結局入れらなかったり,時間のなさに妥協を繰り返してしまいました.

2025 年になった今振り返ってみると,もう少し時間を作れなかったものか,と若干の後悔があります.

 

というのも,やはり博士論文というものは修士論文や学士論文とは異なり,卒業後も多くの人に読まれるんですよね.

「どうせ読まれるのは謝辞だけ」なんてことはなく,研究を引き継いでくれた後輩にとってはバイブルのような扱いになりますし,研究分野が近しい方々にも読まれます.そもそもインターネットで公開もされますし.

卒業後も引き継いでくれた後輩の相談にのったり,研究会に参加したりしてるんですが,たまに質問を受けて「あぁ~,それはね,問題意識はあったんだけどやりきれなかったところで,XXX と仮定してしまってる」などという回答をすることもありました.

それ以前に,しょうもない誤植もちょくちょく残っていたりと,今見ても気になる部分は多いですね.

 

 

もともとお金を払ってでも美味しいものを食べたい派ではあるのですが,博論提出前後は結構いろいろといいものを頂きました.

 

清水でうなぎを,稲取で金目鯛を(本当は下田にもっといいお店があるんですが,下田は遠い...).

福井の CanSat のついでに越前蟹を,そして米原では大好きな「埋れ木」をまとめ買い.

 

飲食店を経営している知人と定期的に味覚をアップデートしに食事に行くのですが,このときは寿司の最高峰を,ということで「鮨 はしぐち」に.

人生で食べた寿司の最高額を更新しました.

焼き肉などはその美味しさは 2 万円ぐらいでサチるなと感じていた一方,寿司は依然としてサチる様子を感じることができていませんでした.今回の体験で,サチるまでは感じられませんでしたが,なんとなく上限が見えてきたような気がしました.

 

 

この 2 月の福井の CanSat は,私が「東京大学の学生」として携わる最後の会でした.

学部 4 年のころから福井のこの講座を一緒に立ち上げていき,その間に担当の教職員の先生方も変わったり,使っていた素子の販売が中止されたり,色々ありましたがいい講座に育ってくれたと思います.

初期にお世話になった先生にも会うことができ,お酒を交わしながら思い出話等をさせてもらいました.

 

福井 CanSat についてはこちらなどを参照してください.

3 月

気づいたら 9 年も通っていた大学をついに卒業しました.

博士課程の卒業式とは,とても味気ないものですね.

この 3 月は,私が取りまとめていた国プロ衛星の開発完了期限であったため,そのままオフィスに行って衛星電気試験(姿勢系とミッション系の連携部分)をしていました.

 

 

このときは,H3 ロケット初号機の打ち上げ失敗と ALOS-3 の喪失,Mitsubishi SpaceJet (MRJ) の開発中止(2 月)に続く,機体解体報道(下図)などもあり,業界にとってつらいニュースが続きました.

我々の学部・修士卒業タイミングは MRJ 開発全盛期で,同期の数名も MRJ 開発を目指して就職していったので,なんとも言えない気持ちがあります.

同様に, H3 にも仲の良い同期が関わっています.

Mitsubishi SpaceJet (MRJ) の解体報道[画像出典]

4 月

この頃は,「会議が多すぎる!減らしたい!」,「FPGA なんもわからん! 助けてくれ!」としか言ってなかった気がします.

部下が増えると,1 on 1 や OKR 決め,彼らのアウトプットをきちんと理解する時間などは単調増加しますし,人数が増えてくると,モチベーションの問題であったり,適切な方に適切な仕事(内容だけでなく,成長を感じられる難易度など,様々な意味で)が割り振れるか,といったいろんな課題・問題も出てきます.

 

この頃も,以下の去年の振り返りの「仕事 (ArkEdge Space)」で書いたようなことなど,色々悩んでいました.当然,こういった悩みは常に考えるべきであって,解決することはないんですけどね.

5 月

古くからお世話になっている山本 一成さんが CEO のチューリング (TURING) さんに遊びに行ったときのことをよく覚えています.

「ベンチャー N 周目で気をつけていること」とか,「インターフェース部分など,組織横断でやらねばならないことをちゃんとやってるテスラは偉い」とか,そういう話をさせてもらいました.

 

今年の GW 酒蔵めぐりは,佐渡島の全蔵を制覇できて幸せでしたね.

 

 

そういえば,この時期に 16 Personalities 性格診断テストをやっていたようで,結果は「幹部 (ESTJ-A)」でした.

2024 年 7 月にも再度やっていて,その結果は「討論者 (ENTP-A)」だったので,1 年で 2/4 が変わってるようでした.人間変わるんですね(?)

 

 

仕事でも引き続き悩み多き時期で,「」あたりにもまとめますが,体力的にも精神的にも大変だったなぁ(同時に頑張ったなぁ)と思います.

 

 

またこの頃,はじめて開発に携わった超小型深宇宙探査機である EQUULEUS が迷子になりました(その後 2024 年 5 月に探索運用を打ち切り,衛星運用も終了.).

EQUULEUS は学部 4 年の研究室配属時,衛星開発フェーズでいうと EM 統合電気試験の頃から,2022 年の初期運用まで直接的に携わりました.

大学卒業後は見守る立場となりましたが,時々伝わってくる成果を楽しみにしていました.

 

 

初期運用のときには,このようなことを書いていましたね.

6 月

6 月上旬は鳥取の大山に登りました.海から山頂まで近くとてもよい登山でした.

大山夏山開き祭に立ち会えたことも幸運でしたね.

 

DSCF3230_lr
大山夏山開き祭

 

この頃,前職であるクックパッド株式会社がレイオフを発表しました.

やはり,大好きだった前職の調子が良くないということはとても心に刺さります.

今の自分の状況から,あのタイミングでの退職はやむを得なかったですが,できることなら,体が2つあるのであれば,まだまだ在籍したかったですし,やり残したこともたくさんありましたし,なにより社風も仲間も最高でした.

今,アークエッジ・スペースのソフトウェア全体をまとめさせていただいていますが,その役割をかろうじて(本当にかろうじて)果たせているのは,クックパッドでの貴重な経験があったからだということは間違いありません.社会人経験が未熟な中,クックパッドで出会った多くの方の振る舞い方を参考にさせてもらってる,ということは,言うまでもありません.

 

このレイオフで私が在籍中に大きく関わっていたスマートキッチンに関わる研究開発チームの多くがクックパッドを去りました.

チームがなくなってしまうことはとても悲しいですし,久しぶりに集まって飲んだりするときに「我々のチームが世の中を変えれたとすると,どこが分水嶺だったのか?」なんて話をすることもあります.

でも,皆それぞれが次に向かってやりたいことやすべきことを前向きな気持ちで取り組んでるのをみると,なんか希望を持てますし,やっぱりいい人たちに囲まれて仕事をしていたんだなぁ,なんて感じます.

7 月

いよいよマネジメント業と雑務とで首が回らなくなってきて,(エンジニアではなく)様々な雑務を肩代わりしてもらうことを目的として,派遣社員を採用することになりました.

そもそも 1 日 8 時間分も仕事を作れるのか,であったり,ただえさえ進めている業務の幅が広くコンテキストも深いのにもかかわらず,ドキュメント等もあまり整備されていない弊社において仕事をお願いできるようになるためのコストはペイするのか,であったり,いろいろな不安もありました.

最終的には,秘書業務などの経験豊富で年配の方だと私がしょうもない仕事を振りにくくなってしまう,ということで,まだまだ経験は浅いけれども何事でもやる気を持って向きあてくれそうで,ちょっとだけソフトウェアに近しいバックを持っていた方を選びました.

結果としては,うまく行ったこと,行かなかったこと,想定外,(私の至らなさのせいで)他部署に迷惑をかけてしまったこと,などなど,いろんなこともありましたが,それと同時に様々な学びがありました.

 

この派遣社員の方は,(後述する社の体制変更にともない)ソフトウェア・基盤システム部(=人工衛星そのものに搭載されるソフトウェアはもちろんのこと,衛星の運用・開発を支援する地上ソフトウェアや果ては社内システムまで,ソフトウェアっぽいものをまるっと担っている部)がなくなり,それと同時に私は私で違う事業部を立ち上げることになった 2023 年 12 月末をもって,お別れとなってしまいました.

採用,ともに仕事,そしてお別れ,と,短い期間でしたが,今でも「派遣社員の人材紹介担当者が候補者を “連れてくる” という場面(構図)」が少々ショッキングだったのを鮮明に覚えています.

 

 

この頃,渋谷で開催されていた Saul Leiter の写真展に行ってきました.

今年は 6 月にも島根県立美術館で開催された森山大道展にも行ってました(1966 年撮影の『あたみ』がえらく印象に残っています)が,写真展はいいですね.言葉では表現しづらいですが,確かに感じるものがあります.

特に Saul Leiter の場合はポジフィルムが多く,そのポジフィルムそのものの美しさで感動できます.

当時の雑誌の展示などを見ると,その時代の雰囲気だったり,そのデザイン性だったりを感じることができますし,一連のネガフィルムなどを見ると,あぁ,こういうストーリーで撮影しているんだなぁ,なんて,撮影時の様子をすこし追体験できたりしますよね.

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Saul Leiter の写真展

 

この tweet にある山本山のアフターヌーンティが大好きだった(和なので甘すぎない & アフターヌーンティでよくあるスコーンの代わりにおにぎりなのが最高)のですが,2025 年現在はどうやらやらなくなってしまったようで,とても残念です.

 

8 月

8 月の休日はめっちゃ旅行してました.

第二週は福島,第三週は北海道,最終週は大曲.

人間,時間を作ろうと思えば無理やりでも作れるんですね(?)

 

福島県会津若松の大内宿で食べた桃パフェは,ここ数年食べたパフェで一番美味しかったです.また食べたい....

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分家玉や @大内宿

北海道には,札幌のスキー場で開催されるビアフェスで札幌の宇宙ベンチャー界隈(主に Space Cubics さん)の皆さんにお会いするために行きました.こういうのはとても楽しいですね.結果として 2024 年も同じビアフェスに参加してます(そしてきっと 2025 年も).

せっかく北海道まで行くので旭岳登山もしてきました.旭岳は北海道最高峰で標高が高く,さらに亜寒帯ということもあって,ロープウェイを降りて登山開始した直後にはすでに森林限界を突破しており,登山中終始景色が最高,という素晴らしい山でした.

 

 

そして人生初の全国花火競技大会(通称 大曲の花火)にも参加できました.

競技大会,ということで,一発一発じっくりと味わうのも良かったですし,昼花火というものを初めて観ました.

 

 

なお,花火大会の熱気も冷めやらぬその夜,急遽翌日に仕事の大事な打ち合わせ & 作業が入ってしまい,翌日の予定を大変更して東京にとんぼ返りする羽目になったのは懐かしいです.

その後の 1 週間は,オフィスに何度も泊まって各種検討と提案書作成の日々でした.

この時期は,いろんな周辺状況が色々と変化する,そんな時期でしたね.

9 月

10 月にアゼルバイジャンのバクーで IAC (International Astronautical Congress) という,宇宙業界のお祭り的な学会がありました.

一度も参加したことがなかったのもあり,博論の内容で口頭発表を申し込んでいた (タイトルは『High-Precision Control Experiments with Optical System for Synthetic Aperture Telescope Using Formation Flying Micro-satellites for GEO Remote Sensing』) ら無事に採択されたので,この学会予稿を執筆するのにそれなりの時間を使いました.

国際学会の学会予稿執筆って,大きなコーディング作業と似ていて,(差し込み等で途中中断の入らない)まとまった時間が必要なんですよね.ということで,slack のメンションの来ない静かな夜は執筆に力を注いでいました(その結果,コードレビューの時間が減ってしまったのですが).

 

10/1 に出国で,「人生初のコーカサスだ!」,「ついでにアブダビで開催される ADIPEC にも参加してくるぞ!」などと意気込んでいたのですが,なんとなんと出国前日の 9/30 に新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) を発症してしまいました.

5 日前に夜を徹して密室で他社の方々を含めて作業しており,かつ,その場にいらっしゃった方が数日前に発症していたので,きっとここでもらってしまったんでしょうね.やはり徹夜で寝不足で,となると,免疫力も落ちてますよね.

 

 

そういえば,9 月は友人と自宅でコバンザメを捌いたりしてましたね(たくさん発見があって楽しかった & おいしかった).

 

10 月

COVID-19,かなりつらかったです.

食欲がほぼなくなって数日で 3 kg 痩せましたし,高熱で何も考えられなくなりますし,一番つらかったのは,咳が 1 ヶ月以上残ったことですね.

 

IAC と ADIPEC 出張がなくなったので,結果として(?)新居浜高専で開催された高専スペースキャンプ2023に講師として参加することができました.

若い学生といっしょにものづくりをするのは本当に楽しいですね.今でも当日仲良くなった数名の学生とは Twitter などでつながっています.

 

 

10 月といえば毎年,宇宙科学技術連合講演会(宇科連)という宇宙業界の同窓会みたいな学会があります.

 

今年は『ソフトウェア技術による衛星開発・製造・運用におけるインターフェース調整コストの低減』というタイトルで,「多種類・複数機の人工衛星の開発・製造・運用では煩雑なインターフェース調整がコストの増加に繋がっているため,ソフトウェア技術やオープンソースソフトウェア (Open Source Software; OSS) 化・標準化を駆使して,衛星のインターフェース調整コストを低減しようとしているよ!」という内容で発表しました.

また今回は開発が進む次期 OBC (On-board Computer) の開発ボードを用いて実演をしたりすることもでき,とても好評でした.

 

 

なお,スライドはここで公開しています.

 

宇科連では,古い知り合いや他大学の同期などと久しぶりに再開できて楽しいだけでなく,新しい出会いもたくさんあります.

過去お互いにお互いの発表を聞き,たまに質問し合うなどしていてなんとなく相互に認知していた名古屋大学の高田 光隆先生とは,この機会にたくさんのお話をさせてもらい,今でも月一ぐらいで意見交換や共同作業を行っています.

宇科連はソフトウェアの深い話をできる機会があまりなく,そういった話ができる数少ない皆さんと話をさせてもらえるのは本当にありがたいです.

11 月

11 月はともにプロジェクトを進めさせていただいている社外とのやりとりで(いつも苦悩しているとはいえ)とりわけ苦悩した月でした.

今でも日記を見返すと,この頃は本当にしんどかったんだなぁ...,と伝わってきます.

 

 

この時期,会社としては主力で開発している 6U 衛星で,ハードウェア的に一つのマイルストーンを迎えました.

これまで衛星開発に携わったことがない社員がほとんどの中で,普段そんなに大喜びしてるようなリアクションをしない方が喜んでいて,私も嬉しかったです.

 

 

あとは,結成したのに部としての企画ができてなかった登山部で初めて登山をしました.

もう 11 月で寒いのと,初心者の方もいらっしゃったので,手軽に筑波山に登ってきました.実は私も筑波山は初めて登りました.

12 月

まず,ドバイで開催された COP29(国連気候変動枠組条約第29回締約国会議)に参加しました.人生で初めて環太平洋地域の外に出ました.

ドバイの第一印象は,「空気が汚くて喉がいがいがする」,そして,「アメリカと同じ街の作りだな」,でした.

(なお,2024 年は乗り換えでなんとドバイ国際空港に 8 回も訪れることになるわけですが....)

 

COP29 は,当然衛星の学会でも会議でもなく,とても新鮮でした.

分野は「環境」というざっくりとした範囲ではあるものの,話をする方皆がそれぞれの課題を抱えており,「衛星を欲しい」なんて人はだれもいません.一方で衛星会社に求めるものはデータであって,我々がまだそれを提供できないことにはとても残念がられました.

そして,アメリカの宇宙系の学会は参加者の国籍はかなり偏っていますが,COP29 は私がこれまで経験した空間の中で,もっともダイバーシティあふれる空間でした.国籍も,アメリカでは出会うことのない,中国,リビア,パキスタンの方々などもいらっしゃいました.

(イギリスの学生環境活動グループが YouTube Live しながら,弊社のブースで「ここはロケットを打ち上げて地球環境を壊してる会社です」云々配信していたのは苦笑してしまいましたが....)

 

そういった課題解決を志す方々だったり,何かしらのアプリケーションを開発されている方々にとっては,データソース(や衛星の種類)はどうでもよく,要件を満たして課題を解決できるデータは(衛星に限らず)つかう,ということを身を持って感じました.

今思えば,2024 年から本格的に始まる事業開発と自分の中の価値観の更新は,この頃から始まっていたんだと思います.

 

そういえば,COP29 では急にスイス大統領の写真を撮る羽目になったのが思い出深いです(笑)

 

 

 

12/25 の夜は,Tellus 主催の QGIS ハンズオンに参加していました.

恥ずかしながら,QGIS をまともに触った経験がなく,新しいツールや技術にふれる際は初めの取っ掛かりが一番むずかしいので,参加させていただきました.

お陰様で,2024 年には,QGIS は欠かせないツールになりましたね.

個別の振り返り

トピックごとに振り返っていきます.

 

ちなみに,2022 年の振り返りはこちらです.

研究・大学生活

何といっても,無事に博士課程を修了できてよかったです.

COVID-19 の大流行や,クックパッド,アークエッジ・スペースなどの活動もあり,修士のときと比べて研究へのコミットメントは落ちてしまいましたが,まぁまぁな結果は出せたのではないでしょうか.

 

博士課程の進学の良否については,まあ博士号を無事に取れた今だから言える結果論ではありますが良かったと思います.博士号が役に立つ,というそんな直接的な経験はもちろんありませんが,進学しなかったらしなかったでなんとなく心に残り続けていたような気がします.また,中須賀・船瀬研究室に追加で 3 年在籍できたことは,様々な機会や経験の面ではとても貴重でした.

 

5 年前と 2 年前に,こんな記事を書いてました(今見返すと相当恥ずかしいですが(笑)).

そこでも書いていますが,やはり様々なことを掛け持ちすると,経験値やコミュニティ,新しい価値観は一気に広がるものの,自分の出せるアウトプットは量・質ともに満足のいく水準にはなかなか達しないものです.

また博士課程 3 年間をやり直したいか? と問われると,心残りはあるのでもう一度,と思う気持ちもありますが,冷静に考えると相当大変だったので,もう一回はいいですね.

 

去年の振り返りでは,

 

来年以降に向けて,自分の研究(というよりかは実験機材)を引き継いでくれる先を見つけることが,大事でありかつ不安要素です.

僕は研究室内では,研究(衛星プロジェクトではなく)でがっつりと実験をする久しぶりの学生でした.修士 1 年から博士 3 年までの 5 年間で,かなりの研究費,おそらく学生の中ではダントツの研究費を使わせていただきました.僕の卒業とともにこの実験機材がホコリをかぶるようになってしまってはあまりにも無責任なので,引き継ぎ先を見つけたいわけです.研究室内でもここ最近は,とくに衛星編隊飛行の文脈で実験をする学生は増えてきています.パーツレベルであっても彼らが有効活用できるように,購入機材の使い方やノウハウをきちっと残していきたいと思っていますし,なによりも一番良いのは,僕の研究の先をやってくれる学生に実験系をそのまま譲ることです.

 

なんてことを書いていました.

無事に,私の卒業の翌年に学部 4 年として研究室に配属された後輩が引き継いでくれました.

研究室の所属期間が被らずに直接いろんなノウハウを伝えられなかったのは心残りではあります.一方で私のマメさで研究で使ったソースコードや記録だけでなく,どうしてこういう設計にしたのか,などのトライ・アンド・エラーの記録も全て残していたのが功を奏し(?),後ろめたさはあまりない程度には引き継ぎができたのではないでしょうか?

後輩はとても優秀で私の研究をさらに先に進めてくれています.なんと 2024 年の宇科連では学生優秀賞を受賞してくれました.

 

東大には,「共同研究員」という肩書きも残りますし,衛星編隊飛行の研究会には時間があるときは参加し続けますし,超小型衛星界隈も業界は狭いので,引き続きこれからも関係者の方々にはお世話になり続けると思います.また,私自身も何かしらの貢献を続けていきたいものです.

仕事(アークエッジ・スペース)

アークエッジ・スペース では去年と変わらず,衛星搭載ソフトウェアから衛星を運用・管制するソフトウェア,衛星を量産するためのソフトウェアや,基盤システム・インフラ,情シスなど,ソフトウェアっぽいものをまるっと担う部門(ソフトウェア・基盤システム部)を率いています.

ここのチームの様子や目的意識は,次の会社ブログの方に記載しています.

 

宇宙業界にソフトウェアの力で挑むチームができてから1年が経ちました - ArkEdge Space Blog
大公開:ArkEdge Space のソフトウェアチームのポリシーと実現したい夢 - ArkEdge Space Blog

 

去年の振り返りでは,こんなことを書いていますね.

 

ひしひしと感じるのは,部長として,部がスケールする動きの難しさです.

たとえば,自分の適当な意思決定が他人の労働時間を食いつぶしてしまう(or 他人の労働効率を低下させてしまう)し,レビューや承認によって作業をブロックしてしまうということも感じてます.

なによりもみんなが気持ちよく働いてほしくて,一人ひとりの様子を分報なり GitHub 上でのやりとりだったり,その他振る舞いから察し,さっと必要な情報をお伝えしたり,悩みやもやもやにいち早く気づけるといい(察知できたとして,解決できるかは更に難しいのですが)んだろうなと思っていて,そういう動きはできる限りしてきたつもりです.しかし,そうした "寄り添い力" は有限であり,部員の増加とともに,だいぶ力が分散してしまったなぁ,などとも思うわけです.

 

これは今年も強く感じました.

2023 年末で,会社全体では(パート・アルバイトも含め)社員数は 100 人を突破,ソフトウェア・基盤システム部単体でも 20 名を突破していました(12 月末時点で 24 人?).

様々なところで会社の “成長痛” を感じました.

 

 

それ以外で特に正解がわからず(自分でも適切に向き合えたのかわからず)苦労したのが,社員の感情面に寄り添うという大切な仕事です.

社員数も十分ではない,社員のスキルレベルや得意分野も様々な中,仕事の内容や量も波があるスタートアップでは,責任が特定の個人に過度に寄ってしまう(or 寄っているように見えてしまう)ことであったり,自分のコントリビューションが見えにくくなってしまったりと,いろいろなことが起きました.

 

ある時,とある若手ソフトウェアエンジニアがこんなようなことを伝えてくれました.

 

アジャイルに開発したいが,不具合がおきたらそれを指摘されるのがつらい.

「一緒にいいものをつくっていく」という構図なはずなのに,自分一人で戦うんですか...,という気持ちになる.

ひとつ上のレイヤーで,みんなが同じ方向を向いていきたい.

 

あぁ,そうだよな,と思いました.

やはり,社員も増えてくると個々人の意思疎通は疎遠になっていきますし,例えば衛星の運用システムであったり衛星の試験システムを使う側のエンジニアにとっては,そういった基盤は “動くことが当たり前” であったりします.

なにもないところから,衛星だけでなく,「衛星の量産」体制そのものを生み出していく,という過程の中では,そういった基盤も “開発途中” のものではある一方で,そういった基盤に不具合があると,例えば衛星のあるコンポーネントを試験したい社員の作業を止めてしまったりもするわけです.

 

他にも,突然「社員が退職してしまうかもしれない」といった恐怖に駆られることも何度かありました.

IT 業界だと 3 年ぐらいで転職することなんて全く珍しいことではないですし,そもそもスタートアップに来てくださる方というのは皆さんフットワークが軽いですし,転職することそれ自体は別に悪いことでも避けるべきことでもありません.

以前働いていた会社で,私の「色んな人が入社したり退職したりされていますが,それでも会社っていうのは回っていけるもんなんですね?」という疑問に,こんな回答をしてくれた人がいました.

 

「(極端な言い方をすると,)能力 A を持った人が入ってくると,A の事業やプロジェクトが立ち上がり,逆に能力 B を持った人が退職すると,B の事業やプロジェクトがなくなるだけだよ.」

 

たしかにそのような場面は経験したことがあったので,その時はなるほどな,と思っていたのですが,今の自分の置かれた状況を考えると耐えられるとは思いませんでした.

大学時代の衛星プロジェクトであれば,自分があるドメイン(例えばソフトウェア領域)をすべて把握することができます.一方で,この規模になるとそれは不可能です.

そして衛星開発の場合,(担当者が退職したからといって)ある要素がごっそりなくなっても大丈夫,なんてことは考えにくいです.

そういうこともあり,このような恐怖を感じつつもできることは何でもしていました.

ありがたいことに,創業以来,このソフトウェアのチームでは一人も退職者は出さなかったのは嬉しかったですね.

 

 

上の 2 tweet のように,色々と苦悩も多かったですが,でも,たまに業界で志をおなじくする方々や,古くからの知り合いの方々とお会いしてお酒を飲んだりすると,また頑張ろう,っていう気持ちになれるのはいいですね.

 

 

とそんなことを書いたのですが,実は今年でソフトウェア・基盤システム部はなくなります.

この部も立ち上げ当初は 3 名しかおらず,作るべきソフトウェアは 3 種類を遥かに超えており,「ソフトウェアができる人」でチームを組む他がなかったので「ソフトウェアっぽいものをまるっと担う部署」という形態をとっていましたが,たとえば衛星本体に焼き込まれる搭載ソフトウェアを書く人であれば,(ハードウェア,ソフトウェア,事業サイド関わらず)衛星プロジェクトに携わる人々でチームを組むべきですし,会社が新に DX していくためには,各部署であったり,各チームにソフトウェアが書ける人(or ソフトウェア的考え方を実践できる人)が必ずいるべきです.

そういう事情で,衛星開発に主に携わるメンバは衛星開発の部署へ,特定の事業に強く関わる人は(新設される)事業部へ,そして,基盤システムとして残る部分は「コンピューティング基盤部」として固まることにしました.

そして私はというと,もう 3 年近くソフトウェア全体を見てきたので,このままでは会社としての成長曲線は鈍化してしまうな,ということでコンピューティング基盤部は後任に譲り,新しい部署「リモートセンシング事業部」を立ち上げることにしました(ソフトウェア人材が社内に散らばったので,その全体的な部分は引き続きコミットしていくつもりです).

 

リモートセンシング事業部は,(自社の衛星アセットももちろん活用するが)自社の衛星や,そもそも衛星そのものにこだわらず,社会課題を解決する事業を生み出していく,という部署です.

そして,ソフトウェア・基盤システム部ではお金や人のマネジメントも私が行っており,さすがに苦しくなってきたので新しい事業部ではそれらは別の方にお任せし,私自身は事業開発とプロダクト開発に専念することになりました.

私生活

総じて幸せな一年でした.

人生における大きな進捗もありましたし(なお,2024 年 4 月にその進捗は帳消しになるんですが).

 

あとは,今年もたくさん色んなところに行けたのは良かったです(2024 年は突発的な出張が多くて,プライベートでの旅行はほぼほぼ諦めていましたし).

2024 年にむけて

2024 年の目標は(仕事もプライベートも),2023 年から引き続き

 

人間に寄り添っていきたい
初心忘れずに

 

です.

加えて仕事では,最速で事業をつくっていく,というのを足したいと思います.

 

まぁ,2024 年 1 月に急遽 2 週間南米に出張することになり,自分の人生が大きく変わります.2023 年末当時は,まだそんなことは微塵も想像してなかったんですけどね.

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