研究室の忘年会に参加して,久しぶりに駄文を書きたくなったので,夜な夜な酔っ払いながら執筆.
博士課程を頑張ってる全員を応援したいね.
去年は海外出張で参加することが叶わなかった古巣の研究室(中須賀・船瀬研)の忘年会に参加してきた.
日本の宇宙業界で中心的役割を果たしている OB・OG の方々だけでなく,様々な分野の第一線で活躍している方々ともお話しでき,新たな刺激を得たり,モチベーションを高めたりできただけでなく,当然若い後輩方ともたくさんの話をしてきた.
そういえば時が経つのは早いもので,気がついたら私が博士課程を卒業してから 3 年が経とうとしている.
当時はこんなことも書いていたようだが,
日本では博士という称号は特に役には立たないんだろうなとも思いつつも,取りたいので取っていた.
今思うと,まぁおおむね役に立たないといえば立たないのではあるのだが,例えば博士を持っていると大学との共同研究の対面(といめん)に立ちやすかったり,客員研究員などの身分を得やすかったりと,まあまあ便利に利用させていただいている,というのが実態のよう.
いろいろと不安を抱えている博士課程の学生らと今日も話をしてきて,特に話題になったのは,スタートアップやその他のプロジェクトなどを掛け持ちしているときにどのように時間をやりくりするかという問題であった.
私が思うに,東大航空宇宙に限定して言えば,「博士を取得するということ」そのものに対してはそこまで不安を持たなくていいと思う.
結局,物事は何とかなるし,なるようになる.
でも,「その完成した博士論文に自分自身が納得できるか」,という問はそこそこ大事かもしれないと思う.
過去の記事の
で,
日中は仕事,夜は博論執筆,という具合でした.
博論執筆はなかなかしんどくて,後半に行くにつれて図などが雑になってしまったし,textlint を入れよう入れようとしていたにもかかわらず結局入れらなかったり,時間のなさに妥協を繰り返してしまいました.
2025 年になった今振り返ってみると,もう少し時間を作れなかったものか,と若干の後悔があります.
というのも,やはり博士論文というものは修士論文や学士論文とは異なり,卒業後も多くの人に読まれるんですよね.
「どうせ読まれるのは謝辞だけ」なんてことはなく,研究を引き継いでくれた後輩にとってはバイブルのような扱いになりますし,研究分野が近しい方々にも読まれます.そもそもインターネットで公開もされますし.
卒業後も引き継いでくれた後輩の相談にのったり,研究会に参加したりしてるんですが,たまに質問を受けて「あぁ~,それはね,問題意識はあったんだけどやりきれなかったところで,XXX と仮定してしまってる」などという回答をすることもありました.
それ以前に,しょうもない誤植もちょくちょく残っていたりと,今見ても気になる部分は多いですね.
と書いているように,私の中で今でも,博士論文が卒業論文や修士論文(それぞれ賞もとった)と比べて文章としても研究の詰め具合としてもクオリティが低いという自覚はある.
でも,確かに博士論文のクオリティを上げきれなかったが,博士は博士であるし,また,他のことも同時にできたことで得られたたくさんの事もあったので,トータルとしては納得している,というか,諦められている,というか,心の整理はついている.
博士論文は学生時代の執筆物ではあるが,国立国会図書館に収蔵されインターネットで公開されるし,なんだかんだ言ってその人の Representative work となり一生ついてまわるので,そのクオリティについて妥協ができない,という気持ちなのであれば,それはそれ相応のエフォートを割きましょう,つまり,妥協・後悔すべきではない,ということだと思う.
なんてことを,気づいたら喋っていたので,ここにも記しておく.
ちなみに,今日の思い出.
7 号館に来たのはいつぶりだろうか?
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